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ゲド戦記[小説]

ゲド戦記 全6冊セット

実はこの数日間、ずっと「ゲド戦記」を読んでいました。映画を見たのをきっかけに息子が「原作も読みたい」と言ったので、全巻買い揃えたもので私も便乗して。さすがに6巻もあるとそう簡単には進んでいかず、全部読み終えるのにけっこう時間かかりました。

以下、ネタバレありかもです。

で、読んでみて驚いたのが、アレンって原作では「予言を成就して800年ぶりに世界の王となる人物」だったんですね! そりゃ確かに宮崎吾郎のグダグダなアレンとは大違いですよな(笑)。
ただ。映画の元になったと言われる3巻を、アレンを原作そのままにアニメ化したら、よほど上手く作らないと「ナウシカの二番煎じ」になりかねない、と思ったのは私だけでしょうか。たとえどんな悪評がきたとしてもそれだけは避けねばならなかっただろうと思うので、吾郎アレンはあれはあれで良かったんだと思います。全巻読破してみたら、吾郎ゲド戦記は監督の目から見たアースシーを確かに描いていたと思われるので。

そうなんです、読んでみて分かったのですが、そもそも原作自体が「ゲドの物語」というよりは「アースシーの物語」だったんですね。ゲドは世界の語り手の1人にすぎない。巻によって主人公も様々に変わり、いろいろな人の目を通してアースシーの世界が語られていく。だから主人公(語り手)は誰でもいい。それらの全体がアースシーという1つの世界をつむぎ出しているのですから。

1巻 影との戦い
主人公は若い頃のゲド。自分が引き出してしまった影との片をつけるためのゲドの一人旅が延々と続く。小説としては面白いけど、登場人物が少なすぎて(全編ほぼゲド一人状態って…)、エンターテイメント映画向きな内容ではないですね。

2巻 こわれた指環
主人公はテナー。ほぼ全編テナー一人物語。ゲドは終盤になってやっと登場(この巻には出てこないのかと思ってしまった…)。これも映画向きな内容じゃないです。

3巻 さいはての島へ
主人公はアレンとゲド。ただ語りはほとんどアレンの視点から。確かに映画化するとしたらこの巻しかないかも。しかし「死者の国」はちと観念的でエンターテイメントには不向きなので舞台をクモの城に変えたのではと思われ…。あいかわらず登場人物少な過ぎなので(アレンとゲドしかおらん…)、アニメではこの巻にはいなかったテナーとテルーを加えてウサギにももっと動きのある役を与えたのだろうと思います。

4巻 帰還
目下息子が挫折中の巻(^^;。確かにこの巻は読むの骨が折れますわ…。とりあえず主人公はテナー、でいいのかな。テルーがいかにしてテナーに引き取られるかの話。ゲドは3巻で力を使い果たして魔法が使えなくなったので、最初にチラッと姿を見せただけでストーリーからも遁走。ラストでテナーとゲドとテルーが家族化。そのための話だったんでしょうかね…。

5巻 アースシーの風
すでにゲドは傍観者化して脇に消えており、話を進行させるのはもっぱらレバンネン王(=アレン。レバンネンはアレンの真の名前)の役割に。自分に差し向けられた王女にどう接していいか戸惑うアレンがかわいいです。早くお妃様を~という周囲にイライラしてキレかかるシーンは吾郎アレンをちょっと思い起こさせるところがあって良し。

6巻 外伝
5つお話が入ってますが、この中の1つが4巻と5巻をつなぐキーとなる話になってます。これを読んで初めてアニメ版のクライマックスのテルーVSクモのシーンの意味が分かった気が。アニメのクモは実はトリオンを兼ねていて、テルーはアイリアンの役どころを兼ねていたんですね。生と死の垣根を越えて生者でも死者でもなくなったものをあるべき姿に戻すためには竜の炎が必要だった。このエピソードが終わらないと3巻の事件は完全には終結しないので、アニメでは外伝のエピソードをクモとテルーに託してつなげることによって話をまとめたのだと思います。

3大ファンタジーの1つと聞いていたのでどんなだろうと思って読んでみたわけですが、ガチャガチャした冒険活劇ではないですね。もっと静かなイメージ。盛り上げるよりはたんたんと進める、みたいな。設定は壮大だけど。小説ならではの展開を大切にしているように思いました。それを思えば、アニメはあれでアースシーの世界を壊さない範囲で精一杯エンターテイメントしてくれていたんだなというのが分かります。

私としては、まずアニメから入っていけてよかったと思っています。おかげでアニメも原作も好きになれたから(吾郎アレンの駄目っぷり、お気に入りだし^^;)。自分に見えたアースシーを楽しんでいきたいと思います。